2016年 08月 26日
テロ対策を名目とする共謀罪法案に反対する! |
テロ対策を名目とする共謀罪法案に反対する!
-国連組織犯罪防止条約批准のためには
共謀罪法制は必要不可欠ではない-
2016年8月26日
海渡 雄一
(弁護士・秘密保護法対策弁護団共同代表)
目次
第1 テロ対策と共謀罪を結びつけるのはまちがい
1 共謀罪法案再上程の動き
2 組織犯罪条約はテロ対策とは無関係
3 国連越境組織犯罪防止条約はテロ対策と無関係である
第2 共謀罪法案とは
1 政府案の内容
2 共謀が処罰されるということの持つ意味
3 共謀罪の基本的な問題
4 秘密保護法にも規定された共謀・教唆・煽動罪
第3 条約起草の経過と基本的事項
1 国連 越境組織犯罪防止条約の起草の経緯
2 本条約の名称とその概要、付属議定書について
3 条約審議における日本政府の対応
4 条約の批准の状態
5 議会・国際人権団体のチェック機能が機能していない
6 国際人権法の原則にも違反しかねない
第4 「共謀罪」法案と越境組織犯罪条約
1 政府案
2 条約の適用範囲と政府案との異同
3 条約5条と政府案
4 政府法案提出時における日弁連の意見
第5 共謀罪法案の審議経過
1 共謀罪法案の審議経緯
2 民主党修正案
3 与党修正案と民主党案の丸のみ騒ぎ
4 民主党と日弁連の方針転換
第6 条約批准のために共謀罪制定以外に手段はないのか
1 日弁連2006年意見
2 国連立法ガイドが締約国に認めている立法裁量の幅
3 各国が批准のために採った立法措置
4 共謀罪を新設する以外にも条約を批准する方法はある
5 アメリカにも共謀罪が処罰されていない州がある
第7 廃案後今日までの共謀罪問題
1 平岡法務大臣の取組み
2 安倍政権となってからの展開
第8 国会提出が予測される法案とその問題点
1 団体の定義(2条)
2 合意の推進を要件としても、曖昧さは解消されない。
3 共謀罪の犯罪成立要件として「越境性(国際性)」を追加する
4 共謀(合意)の対象となる犯罪としての「重大な犯罪」を限定する。
5 共謀行為の限定
6 自首減免の対象
7 逮捕勾留する際に顕示行為の蓋然性が要件化されているか
8 既遂犯との二重処罰の防止規定
9 まとめ
第9 越境性を要件とすることは認められるか
1 条約第34条についての法務省見解
2 34条2項の立案経過
3 警察学論集の見解
4 法務省解釈に明らかに反する「公的記録のための解釈的注」
5 越境性を要件にして立法化した国があった
第10 共謀罪問題の決着の付け方
第11 参考文献
第12 条約と法案を巡る経過
第13 共謀罪法案の変遷
第14 <付録>現行法上テロ行為を未遂に至らない段階で処罰する規定(2012年日弁連意見書より)
第1 テロ対策と共謀罪を結びつけるのはまちがい
1 共謀罪法案再上程の動き
2015年11月13日の夜、フランスのパリでスポーツスタジアム、コンサートが行われていた劇場、カフェなど、多くの人が集まる場所を次々に襲撃し、銃で殺害するという残酷なテロ事件が発生した。この事件を受けて11月17日から自民党の副総裁・幹事長・国家公安委員長らが、国内テロ対策の一環として、共謀罪を創設する法案の早期提出を示唆した。
その後、官房長官・副長官や法務大臣から、法案提出を検討はしているが、通常国会への提案については慎重な発言がなされてきた。
ところが、2016年8月26日、朝日新聞が、次のように報じた。
「安倍政権は、小泉政権が過去3回にわたって国会に提出し、廃案となった「共謀罪」について、適用の対象を絞り、構成要件を加えるなどした新たな法改正案をまとめた。2020年の東京五輪やテロ対策を前面に出す形で、罪名を「テロ等組織犯罪準備罪」に変える。9月に召集される臨時国会での提出を検討している。
共謀罪は、重大な犯罪を実際に実行に移す前に相談しただけで処罰するもので、小泉政権が03年、04年、05年の計3回、関連法案を国会に提出。捜査当局の拡大解釈で「市民団体や労働組合も処罰対象になる」といった野党や世論からの批判を浴び、いずれも廃案になった。
今回は、4年後に東京五輪・パラリンピックを控える中、世界で相次ぐテロ対策の一環として位置づけた。参院選で自民党が大勝した政治状況も踏まえ、提出を検討する。
今回の政府案では、組織的犯罪処罰法を改正し、「組織的犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」(テロ等組織犯罪準備罪)を新設する。
過去の共謀罪法案では、適用対象を単に「団体」としていたが、今回は「組織的犯罪集団」に限定。「目的が4年以上の懲役・禁錮の罪を実行することにある団体」と定義した。テロ組織や暴力団、人身取引組織、振り込め詐欺集団などを想定している。
過去の法案では、犯罪を行うことで合意する「共謀」だけで罪に問われていた。今回は共謀という言葉を使わずに「2人以上で計画」と置き換えたうえで、計画した誰かが、「犯罪の実行のための資金または物品の取得その他の準備行為」を行うことを構成要件に加えた。武器調達のためにパンフレットを集めるなどの行為を想定している。
共謀罪に対しては、一般の会社の同僚らが居酒屋で「上司を殺してやろう」と意気投合しただけで処罰されるといった批判があった。今回は犯罪の構成要件を厳しくすることで、こうした批判を避ける狙いがある。ただ、「組織的犯罪集団」や「準備行為」などの言葉は定義があいまいで、捜査当局によって解釈が拡大される可能性は残る。
また、対象になる罪は法定刑が4年以上の懲役・禁錮の罪とし、その数は600を超えるとみられる。道路交通法や公職選挙法にも適用されることになり、対象範囲が広いことも議論を呼びそうだ。
「テロ等組織犯罪準備罪」の罰則は、死刑や無期、10年を超える罪に適用する場合は5年以下、4年以上10年以下の罪には2年以下の懲役・禁錮とした。(久木良太)」
この記事に書かれているような形で、法案が再提出されるとすると、そこには次のような問題があると考えられる。
① まず、この法案はもともとの政府案からみれば、組織犯罪集団の関与と、準備行為が要件とされた点で修正されたとしているが、2006/7年に政府与党が検討していた修正案よりもむしろ後退している。
② すなわち、自民党はいわゆる小委員会案では対象犯罪を約140にまで絞り込んでいた。しかし、伝えられる提案では、もともとの政府案と同様の600以上の共謀罪を作ることとしている。
③ また、自民党は2006年6月1日に、当時の細田博之国対委員長が当時の民主党修正案を丸呑みすることを提案した。この民主党修正案では対象犯罪を限定し、組織犯罪集団の関与をより明確化し、また犯罪の予備行為を要件としただけでなく、対象犯罪の越境性(国境を越えて実行される性格)を必要としていた。
④ そもそも、この丸呑み騒ぎの後、当時の民主党と日弁連は、ともに越境組織犯罪条約の批准のためには、重大組織犯罪の未遂以前の段階の処罰を可能とする法制度が整っていればよいと考え、現在のままの法制度でも条約の批准には支障はなく、かりに足りない制度があるとしても、時用役を一部留保することも可能だという意見を述べてきた。
⑤ このような観点から見ると、政府が再提出しようとしている法案には新味はなく、2006/7年段階の自民党提案からも大幅に後退している。
⑥ さらに、組織犯罪条約は経済的な組織犯罪を対象とする条約であり、テロ対策とは無関係で共謀罪法案をテロ対策の名目で提案することは従来の政府の説明とも矛盾している。
よって、このような政府提案を認めることは到底できない。
共謀罪法案については、国連、日本の国会、政府の間で、過去に複雑な経過があるので、少し長くなるが、子細に検討してみることとする。
2 組織犯罪条約はテロ対策とは無関係
テロ対策を口実として共謀罪法案を国会に提案することに、次の点から反対する。
① テロ対策のための法制度は完備しており、新たな対策は必要ないし、単独犯によるテロについては、共謀罪は有効性がない
② 国連越境組織犯罪防止条約は経済目的の組織犯罪を適用対象としており、宗教的・政治的目的のテロ対策は条約の目的となっていない。
③ 共謀罪なしに国連越境組織犯罪防止条約を批准することは可能であり、国会の承認は完了しているので、すみやかに共謀罪を制定することなく、条約の批准手続を進めるべきである。
3 国連越境組織犯罪防止条約はテロ対策と無関係である
(1)条約の目的は経済的な組織犯罪の取り締まりに限定されている
自民党小委員会案と最近の自民党・政府の共謀罪制定に関する議論の第1の根本問題は,正面から「テロ対策」を根拠にしたことである。
そもそも国連越境組織犯罪防止条約が規制の対象としている「越境組織犯罪」とは国境を越えて活動しているマフィアや麻薬の密輸,人身売買などを繰り返している集団の行う経済犯罪である。このような越境組織犯罪に国際社会が立ち向かうために準備されたのが,同条約である。同条約はテロリズム対策のものではない。
国連越境組織犯罪防止条約第2条は「組織的犯罪集団」の定義として,「金銭的利益その他の物質的利益」を得ることを目的として重大犯罪を行うことを目的とした団体であるとされ,立法ガイドにおいても政治的,宗教的なテロリズムを除外することが明記されている(パラグラフ59)。テロリズムは,組織犯罪ではないということが国連条約における重大な前提となっているのである。
(2)日本政府は国連のテロ対策条約を実施している
国連は,テロ対策のための条約も多数策定している。ハイジャック防止のためのハーグ条約(1970年),核物質防護条約(1980年),シージャック防止条約(1988年),プラスチック爆弾探知条約(1991年)などがそれである。しかし,国連越境組織犯罪防止条約とテロ関係の条約は国連の中での管轄自体がはっきりと分けられている。
国連のテロ資金供与防止条約は平成14年に批准され、国内法としてテロ資金提供処罰法が制定された。この法律は2014年に改正され、テロリストが武器を購入するために資金を集めたり、テロリストを援助する目的で資金を提供したりする行為を処罰対象としていたが、テロ行為を容易にする目的で「土地、建物、物品、役務」を提供した場合も処罰の対象とされている。処罰対象者の範囲も、テロリストに直接利益を提供する協力者だけでなく、テロリストを間接的に支援する協力者にまで拡大されている。
第2 共謀罪法案とは
1 政府案の内容
共謀罪法案は、2000年11月15日に第55回国連総会で決議された「国際的な組織犯罪の防止に関する条約(別名「国連越境組織犯罪防止条約」、「TOC条約」、「パレルモ条約」。以下「国連越境組織犯罪防止条約」と言う。)の中で、「条約締結国は立法化すべき」とされた犯罪である。
国連越境組織犯罪防止条約自体は、2003年5月に国会で承認され、条約批准のために共謀罪を国内法制化すべきか否かをめぐって、長い論争が繰り広げられてきた。共謀罪は我が国の刑法体系に反するものであり、内心の自由と紙一重の人と人との意思の合致そのものを犯罪化している。処罰範囲の著しい拡大をもたらし、刑罰構成要件がもっている市民にとってどこまでの行為が許されているかという保障機能を害するものである。
まず最初に国会に提案されていた政府案に沿ってその内容を説明する。
この政府案は、簡単に言えば、約600種類もの犯罪について、実行を「合意」した段階で処罰するというもので、「合意」を犯罪とするということですから、その「合意」が実際に「実行」に移される必要はない。例えば、誰かが友だちに、「あいつムカつくから殴っちゃおうぜ」と言い、その友だちが「うんわかった」と答えると、それだけで罪を犯したことになるわけである。
政府案の定める共謀罪の成立要件は次のとおりである。
①長期(刑期の上限)4年以上の刑を定める犯罪について(合計で約600)
②団体の活動として、対象となる犯罪行為を実行するための組織により行われるもの
③処罰対象は、遂行を共謀(合意)した者
④刑期は、原則懲役2年以下。死刑・無期・長期10年以上の処罰が科せられた犯罪の共謀は懲役5年以下
⑤犯罪の実行着手前に自首したときは、刑は減免される
2 共謀が処罰されるということの持つ意味
人が犯罪の遂行を思いついてから、実際に結果が発生するまでには、次のような段階がある。
1) 共謀=犯罪の合意
2) 予備=具体的な準備
3) 未遂=犯罪の実行の着手
4) 既遂=犯罪の結果の発生
これまで、殺人罪や強盗罪、爆弾関係の犯罪など、ごく限られた重大犯罪に限定されて、「予備罪」とが適用されていた。予備罪とは、上に示したように、具体的な準備に着手したことをもって成立する。例えば、殺人を目的とした武器の購入などがこれにあたる。一方、これまでも「共謀」を罪に問うている場合がある。それが「共謀共同正犯」である。「共謀罪が新設される」というと、少し法律を知っている人は、たいてい「それって、いまでも判例で認められている『共謀共同正犯』を法律に明記するだけでしょう」と答える。弁護士の中にも誤解している人が大勢いる。しかし、それはまったく違うのである。「共謀共同正犯」では、処罰のためには少なくとも犯罪の実行が着手されていることが必要である。犯罪が現実のものとなっているときに、その責任を問える共犯者の範囲が問題となって、共謀に荷担しただけの者も責任を問えるというのが「共謀共同正犯理論」なのである。これらと共謀罪の大きな違いは、準備も含めた実行行為が着手されていなくても、その合意だけで罪が成立するという点である。犯罪の「合意」とは、2人以上の者が犯罪を行うことを意思一致することであり、それ以上の、例えば誰かに電話をかける、凶器を買うといった犯罪の準備行為(合意を促進する行為)に取りかかることすらも処罰の要件となっていません。つまり「予備罪」よりも前の段階、そして実行を伴わない「共謀」も罪に問おうというものなのである。
ちなみに、アメリカの共謀罪では、少なくとも準備行為が開始された事実が必要とされている。また、ほかの多くの国々でも、犯罪の「準備行為」「合意を促進する行為」が要件とされている。つまり世界的には、これらの要件が最低限不可欠であると考えられているわけで、法務省の提案は世界の中で突出していたと言える。
与党修正案では「犯罪の実行に必要な準備行為その他の行為」が必要とされているが、予備罪よりはかなり広い範囲の行為が入ることになるだろう。たとえば、殺人のためにナイフを買うことが予備行為だとすると「犯罪の実行に必要な準備行為その他の行為」には、ナイフを買うためのお金を預金口座から引き下ろす行為なども入るだろう。
本稿においては、条約締結のために共謀罪を国内法制化することが絶対に必要なのか、また仮に法制化するとして、適用範囲を限定して、弊害を最小限のものとするため、どのようなことが可能か、あるいは困難かを考えてみることとする。
3 共謀罪の基本的な問題
伝統的に,犯罪とは,人の生命や身体や財産などの法益が侵害され,被害が発生することと考えられてきた。そして法益の侵害又はその危険性が生じて初めて,事後的に国家権力が発動するというシステムが近代的で自由主義的な刑事司法制度の基本である。人は,様々な悪い考えを心に抱き,口にもすることがあるかもしれない。しかし,大多数の人は,自らの良心や倫理感から,これを実行に移すことはなく,犯罪の着手に至らない。さらに,着手の後にも,自らの意思でこれを中止し,未遂に終わることもある。現在の我が国の刑事法体系が,犯罪の処罰を「既遂」を原則とし,必要な場合に限って「未遂」を処罰し,ごく例外的に極めて重大な犯罪に限って,着手以前の「予備」を処罰するのは,このためなのである。しかも,我が国の刑事法体系では,実行に着手した犯罪であっても,自らの意思で中止すれば,中止未遂として刑を減免してきたし,犯罪実行の着手前に放棄された犯罪の意図は,原則として犯罪とはみなされなかったのである。
4 秘密保護法にも規定された共謀・教唆・煽動罪
2013年12月に制定された特定秘密保護法に、共謀罪が定められてしまった。公務員が特定秘密を故意に漏えいする行為は懲役10年以下、過失で漏えいする行為は懲役2年以下の刑とされる(23条)。
公務員以外のジャーナリストや市民活動家も、「秘密を管理するものの管理を害する行為」を手段で取得すれば、懲役10年以下の厳罰が待っている(24条)。
秘密保護法は独立教唆(本人がその気にならなくてもそそのかすこと)、共謀(二人以上が合意すること)や煽動(集会などで政府の秘密を暴露せよなどと叫ぶこと)も取り締まっているので、特定秘密に触れるところまで行かなくても、嫌疑をかけられる危険がある(25条)。
このように、秘密保護法は、これまで国家公務員法では原則1年以下、自衛隊法でも5年以下とされてきた刑罰を厳罰化し、また処罰される時期を著しく早めている。一言で言えば、この法律は秘密の漏えいを取り締まると言うより、秘密に接近しようとする行為全体をあらかじめ罰しようとしているのである。
ジャーナリストが特定秘密とされている事項について、手荒な手段を講じてでも取得しようとする行為は、特定取得行為の共謀罪に問われかねないのである。
第3 条約起草の経過と基本的事項
1 国連 越境組織犯罪防止条約の起草の経緯
1997年12月12日国連総会は1997年4月にパレルモで、フォンダジオネ・ジョバンニ・イ・フランチェスカ・ファルコーネ(1992年にイタリア・マフィアによって暗殺されたファルコーネ予審判事に因んだ財団)によって組織された越境的な組織犯罪防止のための条約起草に関する非公式会合の報告書に注目する(took note)ことを表明した。
専門家による政府間会議が1998年2月にワルシャワで開催され、条約内容とオプションを犯罪防止・刑事司法委員会に提出した。
1998年4月に開催された犯罪防止刑事司法委員会第7回セッションは、ナポリ政治宣言と組織的越境犯罪に反対するグローバル・アクション・プランの実施に関して会期内のワーキンググループを組織した。このセッションの決議に基づいて、「議長の友人」と呼ばれる専門家の非公式グループが結成され、この第1回の会合は1998年7月にローマで開催され、8-9月にブエノスアイレスで開催された第2回の非公式の準備会合において、条約作成のタイムテープルが定められ、2000年末までに条約案を採択することが承認された。第3回の非公式会合は1998年11月にウィーンで開催され、この場で起草特別委員会の第1回会合の議題の整理が行われた。
国連総会は1998年12月9日、犯罪防止刑事司法委員会と社会経済理事会の勧告を受けて、国際的な組織犯罪防止のための包括的な条約を起草するための開放型の政府間特別委員会の設立を決定した。
国連総会のもとに置かれた「越境組織犯罪防止条約起草のためのアド・ホック委員会」において、1999年1月から起草作業が継続されてきた。委員会は11回の審議の後に条約案をまとめ、「越境組織犯罪防止条約」は2000年12月に国連総会で採択され、日本政府はパレルモで開催された署名式で、これに署名した。
2 本条約の名称とその概要、付属議定書について
1) 本条約の名称
政府仮訳では、この条約を「国際組織犯罪防止条約」と訳しているが、これは、「transnational organized crime」を「国際組織犯罪」と訳したものである。しかし、正確には「国際的」ではなく、「越境的」とすべきである。条約中には「international」と「transnational」の用語が使われており、仮訳ではどちらも「国際(的)」と訳している。しかし、これでは条約正文の意味を取り違える可能性がある。
以下の考察では、政府訳では、「国際的」と訳されている部分でも、「transnational」の用語が使われている部分は「越境的」と訳した。これに伴って、条約名称も「越境組織犯罪防止条約」とすることとした。
2) 本条約の概要
条約本文はマネーロンダリングの対策が中心の条約であるが、この部分については、「組織的犯罪の処罰と犯罪収益の規制に関する法律」(1999年)で既に国内法が制定されているが、この部分も飛躍的に前提犯罪が拡大されている。
これに組織犯罪集団に係わる組織参加・共謀の規制の規定と司法妨害の規定が国内法化の義務的条項として規定されており、これが今回の政府案の根拠とされている。
条約本文中には、盗聴を含む新たな捜査方法、泳がせ捜査の典型であるコントロールドデリバリーや刑事免責などの導入の促進、贈収賄など腐敗防止規定なども規定されているが、それらは批准国に受け入れの選択の余地がある任意的条項であり、今回の国内法化の対象からは原則として除外されている。
3) 3つの議定書
なお、本条約には「女性・子どもを中心とした人身売買の防止に関する議定書」「移住労働者の密輸防止に関する議定書」「銃器と部品、構成物、弾薬の製造と輸送に関する議定書」の3つの議定書が付加されている。
3 条約審議における日本政府の対応
条約審議の冒頭に日本政府が提出したペーパーには、共謀罪の新設は日本の法制度の基本原則から見て不可能と日本政府が考えていたことが下記のとおり明確に記されていたことにも留意すべきである。
「5.(前略)このように、すべての重大犯罪の共謀と準備の行為を犯罪化することは我々の法原則と両立しない。さらに、我々の法制度は具体的な犯罪への関与と無関係に、一定の犯罪集団への参加そのものを犯罪化する如何なる規定も持っていない。」
このような立場に立って、日本政府は「重大犯罪」を「組織的な犯罪集団に関する重大犯罪」とすること、「その者の参加が犯罪の成就に貢献するであろうことを知って、重大犯罪を犯すことを目的とした組織的犯罪集団に参加すること」の犯罪化を提案していた(A/AC.254/5/Add.3)。
条約に基づいて新たな立法をするにあたっても、それぞれの国における憲法をはじめとする刑法の基本原則に反するものであってはならないことは、言うまでもない。このことは、条約自体でも明らかにされている(条約第34条第1項)。この点を確認することが、共謀罪問題の解けない知恵の輪を解きほぐす鍵である。
4 条約の批准の状態
2016年2月現在で批准国は186ヶ国に達している。日本は国会での承認は済んでいるが、政府としては国内法化が完了していないとして批准していない。
5 議会・国際人権団体のチェック機能が機能していない
最近、組織犯罪条約だけでなく、国際機関が刑事立法の提案を行うことが増えている。サミット、OECD、FATF、EU、ヨーロッパ評議会、国連などが舞台となる。
これらの条約や勧告の立法・立案過程は警察、検察など法執行機関側だけのメンバーで構成されており、有力な国際人権NGOがほとんど参加していない。その結果として、これらの国際条約や勧告などは著しく法執行側の権限を強めるものとなっている。
現在の国際刑事立法の制定の過程では、起草と討論の過程には各国の法執行機関のメンバーと外交官しか参加しておらず、条約によって人権を規制される市民の代表は誰も参加していない。
国際(越境)組織犯罪防止条約の制定過程は、検討の素材となった条約案は少数の「議長の友人」によって起草され、そのもととなったオプションは政府間の非公式会合でまとめられたものである。
私自身も、1999年5月に日弁連のメンバーとしてこの条約の起草のためのアドホックミーティングについて立ち会う機会があった。このときはマネロンのパートの審議であったが、犯罪立証を容易にする方向での意見が目立った。各国からの代表は外交官と法執行機関の代表であり、民主主義的な多元性が欠けている。
このような経過から、必然的に、これらの国際条約や勧告などは草案の段階から著しく法執行側の権限を強めるものとなっており、これを審議する各国の政府代表も、むしろ政府機関の権限を強める提案を歓迎するものがほとんどで、起草過程で聞かれる意見の多くも、草案を支持する立場での微調整案であり、国内法との乖離があまりに大きいと国内立法が技術的に難しいなどとする意見にすぎなかった。
各国の立法機関は、ひとたび条約が起草されてしまった後には、その内容を是正する有効な手段を持っていない。条約を批准するかどうか、条約上許容された裁量の幅のなかでよりよい選択をする以外に方法が残されていない。
6 国際人権法の原則にも違反しかねない
さらに、これらの条約や勧告はこれまで国際的に確立してきた民主主義的な法制度や価値の原則のいくつかに真っ向から対立する部分を持っている。個人のプライバシー権、刑事司法における無罪推定の原則、集会・結社・表現の自由の保障、弁護権、拘禁された者の裁判所に出頭する権利、公正な裁判を受ける権利などとの衝突が指摘できる。だから、国際機関の条約や勧告をもとに国内立法を構想する際には、思考停止に陥ることなく、国際人権保障の原則との両立を図るために知恵を絞るべきである。
第4 「共謀罪」法案と越境組織犯罪条約
1 政府案
法務大臣は2002年9月、本条約の国内法化のための「共謀罪(共謀だけで実行の着手がなくても可罰的とする)」、「証人買収罪」、「すべての長期4年以上の刑の犯罪の犯罪収益規制の前提犯罪化」、「贈賄罪の国外犯処罰」などの規定の制定を法制審議会に諮問し、数ヶ月の審議の末、2003年の通常国会に法案を提出した。
政府が当初提案した共謀罪法案は、条約が認めている「合意を推進する行為」を伴うこと、「組織犯罪集団が関与したもの」という限定を取り外し、また、条約がその精神において求めている犯罪の「越境性」も必要でないものとしていた。共謀罪の適用範囲を、国内の一般犯罪であり、組織犯罪集団が関与しないものにまで拡大して、「一般的共謀罪」の新設を提案したものと評価できる。
2 条約の適用範囲と政府案との異同
条約第3条には、条約の適用される犯罪の範囲として、「性質上越境的なものであり、かつ、組織的な犯罪集団が関与するもの」と明記している。
「性質上越境的なもの」とは、「二以上の国において行われる場合と一の国において行われるものであるが、その準備、計画、指示又は統制の実質的な部分が他の国において行われる場合、二以上の国において犯罪活動を行う組織的な犯罪集団が関与する場合、一の国において行われるものであるが、他の国に実質的な影響を及ぼす場合」を意味するとされている(条約第3条2項)。
「組織的な犯罪集団」とは、「三人以上の者から成る組織された集団であって、直接又は間接に金銭的利益その他の物質的利益を得るため、一定の期間継続して存在し、かつ、一又は二以上の重大な犯罪又はこの条約に従って定められる犯罪を行うことを目的として協力して行動するものをいう。」を意味するとされている(条約第1条(a))。
法案に定める共謀罪の構成要件は、「団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀したもの」とされている。しかし、この団体には、条約上に規定されている「金銭的、物質的な利益を得る目的」「重大犯罪や条約に規定された犯罪を行うことを目的として、協力して行動する」ものであるという限定が全く見られない。犯罪を実行するものの「団体性」と「組織性」だけが要求されている。
さらに、「金銭的、物質的な利益を得る目的」の点も政治・宗教目的のテロ行為などを規制対象から除外する上で重要であるが、政府案では完全に無視されている。これでは、適用範囲は団体性のある共犯事件のすべてに拡大してしまう危険性があるのである。
3 条約5条と政府案
条約5条は各国に「共謀」か「団体参加罪」のどちらかを制定することを義務づけている。
「(a) 次の一方又は双方の行為(犯罪活動の未遂又は既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。)
(i) 金銭的利益その他の物質的利益を得ることに直接又は間接に関連する目的のために、重大な犯罪を行うことを一又は二以上の者と合意すること。ただし、国内法により必要とされるときは、そのような合意であって、その参加者の一人による当該合意を促進する行為を伴い又は組織的な犯罪集団が関与するもの
(ii) 組織的な犯罪集団の目的及び一般的な犯罪活動又は犯罪を行う意図を知りながら、次の活動に積極的に参加する個人の行為
a 組織的な犯罪集団の犯罪活動
b 組織的な犯罪集団のその他の活動であって、当該個人が、自己の参加が犯罪の目的の達成に寄与することを知っているもの
(b) 組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の実行を組織し、指示し、ほう助し、教唆し若しくは援助し又はこれについて相談すること。」
政府案は、この(a)(i)と(b)を立法化したものと考えられる。
4 政府法案提出時における日弁連の意見
日弁連は、政府案のもととなった法制審要綱について、2002年の段階にまとめた意見において、
1)条約の批准に反対し、要綱案に示された共謀罪の新設にあくまで反対する。
2)仮に、条約を批准するとしても、条約第5条については留保ないしは解釈宣言を行うべきである。
3)仮に国内法化をするとしても、対象犯罪を組織犯罪集団の関与する、越境的な性質を有する犯罪に限定し、推進行為を要件とするべきである。
との意見をまとめていた。
第5 共謀罪法案の審議経過
1 共謀罪法案の審議経緯
ここで、共謀罪法案の審議の経過を振り返っておきたい。共謀罪に関して、政府案の国会審議に入ったのは、2005年7月であった。2005年の郵政解散総選挙で自民党は300議席を得た。2005年の臨時国会では本格的な審議が始まった。この審議の中で、「目配せでも共謀は成立する」などの答弁もあり、徐々にその危険性の認識も広がっていった。
2 民主党修正案
2006年4月28日、衆議院法務委員会において民主党は共謀罪法案の修正案を提出した。民主党修正案の内容を次のとおりであった。
① 政府案が犯罪行為の主体となるものを単に「団体」と規定していたものを、より限定的に考えるという趣旨で「組織的犯罪集団」とした。そして、「組織的犯罪集団」とは、「重大な犯罪を実行することを主たる目的又は活動とする団体」と定義した。
② 共謀罪の犯罪成立要件として「予備行為」や「準備行為」が必要であるとした。条約では、共謀罪の成立のために「合意の内容を推進するための行為(学術的には「顕示行為又はオーバート・アクト」と呼ばれます。)」を要件とすることが認められていたが、我が国の刑事法制においては「予備行為」又は「準備行為」が顕示行為に当たるとして、これを犯罪の成立要件とした。
③ 共謀罪の犯罪成立要件として「越境性(国際性)」を追加した。日弁連の意見に基づく修正であった。
④ 共謀(合意)の対象となる犯罪としての「重大な犯罪」を限定した。政府案では、条約の規定どおり、「重大な犯罪」を「長期4年以上(の懲役又は禁固)」の犯罪としていたが、それでは対象犯罪が我が国では615(当時)に上ったため、「長期5年超」の犯罪に限定することとし、対象犯罪を約300(当時)に止めた。
3 与党修正案と民主党案の丸のみ騒ぎ
これに対して、与党も、同年5月19日に与党再修正案を提出し、激しい委員会審議が行われた。いつ強行採決が行われてもおかしくない状況となった。この事態に対して、衆議院・河野洋平議長から慎重審議の申入れがあり、同月26日から30日までの間、衆議院法務委員長提案により設置された実務者協議会が実施された。
そうした中、自民党は、細田博之・国会対策委員長が、6月1日、民主党修正案を丸呑みする提案(細田国対委員長は、この提案を「ウルトラH」と呼んだ。)をした。それまでに国会での質疑や質問主意書に対して政府が述べてきた見解のままでは、いずれ「丸呑み」提案が反故にされる虞があり、それらの政府見解を変えさせる必要があった。「ウルトラH」は、やはり、反故にすることを前提として提案されたものであることが判明し、6月2日、民主党は、与党の「丸呑み」提案を拒絶した。その結果、共謀罪法案は、その通常国会では継続審議扱いとなり、2009年7月の衆議院解散によって最終的に廃案となり今日に至っている。
4 民主党と日弁連の方針転換
このような経緯を経て、民主党内では共謀罪に対する取扱いについて再検討が行われた。その結果、日弁連は批准のために共謀罪を創設することは必要不可欠ではないという意見をまとめた。民主党もマニフェスト2009に同様の方針が盛り込まれることとなった。そのポイントとなる部分は、次のとおりである。
「条約は「自国の国内法の基本原則に従って必要な措置をとる」ことを求めているにすぎず、また、条約が定める重大犯罪のほとんどについて、わが国では現行法ですでに予備罪、準備罪、幇助犯、共謀共同正犯などの形で共謀を犯罪とする措置がとられています。したがって、共謀罪を導入しなくても国際組織犯罪条約を批准することは可能です。」
第6 条約批准のために共謀罪制定以外に手段はないのか
1 日弁連2006年意見
日弁連は2006年9月14日に「共謀罪を導入することなく国連組織犯罪防止条約の批准手続を進めることを求める意見書」を採択した。この意見書は「共謀罪」新設法案は、我が国の刑事法体系の基本原則に矛盾し、基本的人権の保障と深刻な対立を引き起こすおそれが高く、また、導入の根拠とされている国連越境組織犯罪防止条約の批准にも、この導入は不可欠とは言えないとするものであった。
この意見書は、このように考える根拠として
「国連の立法ガイドによっても,我が国の刑事法体系において,合意により成立する重大な犯罪を未遂以前から処罰する規定を有していれば新たな立法はしないという選択肢も許容しているとみることができる。日本政府は,従来は自ら「共謀罪は,日本の国内法原則と両立しない」と主張していたのであるから,その「国内法原則」と矛盾する共謀罪立法を放棄するべきであろう。」
「我が国においては,組織犯罪集団の関与する犯罪行為については,合意により成立する犯罪を未遂前の段階で取り締まることができる処罰規定が規定され整備されているのであり,新たな立法を要することなく,組織犯罪の抑止が十分可能な法制度は既に確立されている。したがって,政府が提案している法案や与党の修正試案で提案されている共謀罪の新設はすべきではない。それでも犯罪防止条約を批准することは可能である」と説明している。
この意見は、2012年に新たな情報を更新してもう一度採択されているが、その根本的な考え方は変わっていない。
2 国連立法ガイドが締約国に認めている立法裁量の幅
この条約には、条約の実施は各国の国内法の原則に沿って行えばよいと言う条項がある。34条1項である。ここには、以下のように定められている。
「締約国は、この条約に定める義務の履行を確保するため、自国の国内法の基本原則に従って、必要な措置(立法上及び行政上の措置)をとる。」
国連が作成した立法ガイド("LEGISLATIVE GUIDES FOR THE IMPLEMENTATION OF THE UNITED NATIONS CONVENTION AGAINST TRANSNATIONAL ORGANIZED CRIME AND THE PROTOCOLS THERETO")には、次のような記載がある。
まず、36パラグラフでは、「締約国は、組織犯罪条約を実行することに対する特定の立法上及び行政上の措置を実行することが必要である。34条1項に述べられているように、これらの措置は締約国の国内の法律の基本的原則と合致した方法で行うこととなる。」とされている。
次に、43パラグラフでは、次のような興味深い言及がある。「各国の国内法の起草者は、単に条約テキストを翻訳したり、正確にことば通りに条約の文言を新しい法律案または法改正案に含めるように試みるより、むしろ条約の意味と精神に集中しなければならない。」
「法的な防御や他の法律の原則を含む、新しい犯罪の創設とその実施は、各締約国に委ねられている。」
「国内法の起草者は、新しい法が彼らの国内の法的な伝統、原則と基本法と一致するよう確実にしなければならない。」とされており、条約の文言をなぞる必要はなく、条約の精神に忠実であれば、かなり広範囲の裁量が認められていることがわかる。また、44パラグラフでは、「条約によって、義務づけられる刑事犯罪は当該国の国内法規定や議定書によって制定される法と関連して適用されることとなるだろう」としている。
さらに51パラグラフは非常に重要なことを述べている。「関連する法的な概念を持たない国においては、共謀罪又は結社罪という名の制度を導入することなしに、組織犯罪に対して効果的な措置を講ずるという選択肢は許容されている。」
つまり、共謀罪でも結社罪でもない、効果的な組織犯罪対策という第三のオプションもこの立法ガイドは認めている。このオプションは、まさに共謀罪も結社罪も持たない日本のような法伝統に配慮したものといえる。
しかし、62パラグラフは.「上記の罪は両方(共謀罪と参加罪)とも、犯罪の未遂もしくは犯罪の既遂とは別のものである。」とされており、共謀罪における合意、参加罪における参加がいずれも、未遂に至る前に処罰可能でなければならないことを求めていると理解されているのである。したがって、我が国の法制度の中で重大犯罪について未遂以前に犯罪が可罰的とされ、犯罪を未然に防止するための諸規定がどのように整備されているかを検討することが必要である。
3 各国が批准のために採った立法措置
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどの主要国はどこもこの条項に基づいてあらたな立法を行うことなく、この条約を批准しようとしていると説明されてきた。それぞれの国に存在する組織犯罪対策立法で十分であると判断しているためである。しかし、それぞれの国の制度と条約の文言については明確な対応関係は明確でない。アメリカ、イギリスは共謀罪、フランス、ドイツは結社参加罪と説明されてきた。しかし、最近の説明ではフランスでは、共謀罪が選択されたと外務省は述べている。
フランスの国連条約(国際犯罪組織防止条約)の批准は2002年、そのあとこれに「合わせる」ための国内法整備は2004年になされているようである。「犯されていない罪」に対して「コンピラシー」だけで処罰されることになった犯罪が1種類加えられた(2004年3月9日の法律で刑法に加えられた条項)。「暗殺と毒殺をするよう、誰かに何か報酬や贈り物をあげるか、あげると約束した者は、その犯罪が行われなくても10年の禁固刑と15万の罰金を受ける。犯罪が実行・未遂された場合はこの条項ではなくて、共犯罪として罰せられる」という規定がそれであるという。
世界各国の国内法の整備状況について,国会で度々質問がなされてきたが,政府は「分からない」としてほとんど説明がされなかった。この点について,次のような事実が明らかになった。国連越境組織犯罪防止条約の批准のために新たな共謀罪立法を行ったことが確認された国は,ノルウェーとブルガリアなどごくわずかにすぎない。
アメリカ合衆国は,州法では極めて限定された共謀罪しか定めていない場合があることを国務省の大統領あて批准提案書の中で指摘した上で,国連越境組織犯罪防止条約について州での立法の必要がないようにするため,留保を行った上で同条約を批准した。すなわち,アラスカ,オハイオ,バーモントなどの州レベルでは広範な共謀罪処罰は実現していないことを外務省も認めている。アメリカの批准について,政府はこれまでの答弁において,この留保の事実を知りながら,そのことについて全く説明せず,他方で,同条約第5条についての留保は不可能であると逆の説明を行ってきたのである。
アメリカ合衆国が国連越境組織犯罪防止条約第5条について部分的であるとはいえ,明確な留保をしていることは極めて重大である。このような例に倣えば,我が国も現行法で足りない部分について部分的に同条約第5条を留保することで,現行法を変えることなく同条約を批准する道があることを示しているからである。
また,国連に正式に報告されているだけで,組織犯罪の関与する重大犯罪のすべてについて共謀罪の対象としていないことを認めている国が5か国,具体的にはブラジル,モロッコ,エルサルバドル,アンゴラ,メキシコの5か国存在することが明らかになっている。さらに,セントクリストファー・ネーヴィスという中米の島国では,越境性を要件とした共謀罪を制定し,留保なしで国連越境組織犯罪防止条約を批准していることも分かった。
このように,我が国のような広範な共謀罪立法を行った国はほとんどなく,その立法の必要性に関しては根本的な疑問が提起されている。
4 共謀罪を新設する以外にも条約を批准する方法はある
条約5条は締約国に組織犯罪対策のために「共謀罪又は参加罪」の立法措置を求めている。我が国にも、数々の組織犯罪立法・措置が存在している。まず、共謀罪が13、陰謀罪が8、予備罪が31、準備罪が6あり、57の主要重大犯罪について、未遂よりも前に処罰できることとなっている。この中で、凶器準備集合罪はかなり広範な暴力犯罪の準備段階を処罰できる法律である。最近立法された「特殊解錠用具の所持の禁止に関する法律」は窃盗などの未遂以前の準備段階の行為を犯罪化したものである。強い毒性を有する物質によるテロ防止のための広範な準備行為を処罰するため、「サリン等による人身被害の防止に関する法律」が1995年に制定された。軽犯罪法の1条29号は他人の身体に対して害を加えることを共謀したものの誰かがその共謀に係る行為の予備行為をした場合における共謀者を処罰できるとしている。この罰則には拘留か科料で罰金すら定められていない。
このような既存の犯罪規定の整備によって、組織犯罪集団に関連した主要犯罪については既に未遂以前の予備段階から処罰できる体制がほぼ整っているといえる。共謀罪の国であるアメリカでは銃の所持が合法であることが重要である。アメリカでは人が自宅に適法に銃を所持することが広範に可能であるが、我が国では銃規制が徹底されており、このことは組織犯罪の未然防止のための措置として特筆すべき効果を発揮している。
「組織的犯罪処罰法」によって、組織的な団体の活動としての犯罪について重罰化が図られている。1991年に制定された「暴力団員による不当な行為の防止に関する法律」においては、暴力団の組織加入を強制することなどを犯罪化している。これらは、条約5条のもうひとつのオプションである組織犯罪集団への参加の犯罪化に近い行為を捉えて犯罪化していると評価できる。全国で制定されている暴力排除条例は暴力団の構成員との商業取引全体を非合法化し、その活動を封じ込めようとしたものである。2002年には具体的な事件との関連性がなくても、テロ目的の団体への資金の供与そのものを犯罪化する「公衆等脅迫目的の犯罪行為の資金の提供等の処罰に関する法律」がなされた。これらの中には、人権侵害の危険性を根拠に批判が強かった法制度も含まれているが、具体的な未遂に至る前の段階の行為類型への処罰の一環といえる。このように、日本には、その国内の状況に即した広範な組織犯罪立法・対策が存在している。それらは、決して他の先進諸国にもひけを取らないものと言える。条約5条の求める立法措置は実行されているとして、共謀罪なしで条約は批准することは、多くの国々が選択した賢明なやり方であり、日本もこのような方法での批准が可能であると考えられる。
5 アメリカにも共謀罪が処罰されていない州がある
この法案の提案の根拠として政府はアメリカでは、このような共謀罪が適用されていると説明してきた。しかし、2007年夏以降、日弁連国際室の調査により、アラスカ州、オハイオ州及びバーモント州において、長期4年以上の自由を剥奪する刑又はこれより重い刑を科することができる犯罪のうち、州法上共謀罪の対象となっていない犯罪が存在することが明らかになり、このことは外務省も認めている。
このように、連邦刑法が適用されない州内で行われた条約上犯罪とすべき行為について州刑法では共謀罪とされていない部分があることを外務省も認めたのである。アメリカにおいては州はひとつの国家と観念されており、各州がそれぞれの刑法体系を有している。通常犯罪のほとんどは州犯罪であり、州を超えた犯罪、国境を超えたいわゆる越境的犯罪だけが連邦刑法の対象となっている。したがって、すくなくとも、これら3州においては、ほとんどの犯罪について共謀罪の対象から外されていると言わなければならない。アメリカでも、このような極端な共謀罪を規定していない州があるということは前記のような方針の正当性を裏打ちする重要な事実である。
第7 廃案後今日までの共謀罪問題
1 平岡法務大臣の取組み
2009年9月、民主党政権が誕生した。民主党政権では法務大臣はめまぐるしく交替が続いた。千葉法務大臣、江田法務大臣らの任期では、共謀罪について動きはなかった。
2011年9月2日、平岡秀夫氏が法務大臣に就任した。平岡大臣は、11月7日法務省の関係部局に対して、また外務省の関係部局に対しては、法務省刑事局を通じて、共謀罪に関する状況調査(条約交渉の経緯、条約締結に向けての各国の対応、「条約の留保」の可能性等)と、共謀罪法案に関する立法方針の検討を指示した。平岡氏の説明によると、立法方針案として指示した内容は、次の通りであったとされる。
「「長期4年以上の懲役又は禁固の刑が定められている罪のうち、TOC条約の目的・趣旨に基づいて防止すべき罪に対して、既に当該罪について陰謀罪・共謀罪・予備罪・準備罪があるものを除き、予備罪・準備罪を創設する」ことには、どのような問題があるか。(国連への通報に示されているサウジアラビア、パナマのケースは、これと類似のケースのように思われる。)」
しかし、このような方向は、平岡大臣の辞任と民主党政権の崩壊によって実現しなかった 。
2 安倍政権となってからの展開
2012年12月安倍政権が発足した。共謀罪の新設を求める日米両国の捜査当局の強い意思は一貫しており、自民党は野党時代も共謀罪の制定と条約の早期批准を合わせて求めてきた。FATFも、条約の批准を強く求めており、条約批准に関する公式の意見表明が続いている。
2013年末に秘密保護法が成立した直後に、今年の通常国会においても、再度条約の批准と合わせて共謀罪の制定が求める動きが浮上した。マスコミや市民の強い反発によって、このような動きは見えなくなっている。しかし、秋の臨時国会以降にこの問題が再度浮上すると考え、日弁連ではワーキンググルーブを改組し、対策本部をつくり、全国の単位会にも対策を急ぐように依頼してきた。
第8 次臨時国会提出が予測される法案とその問題点
現時点では、法案は公表されていない。朝日新聞の記事は、政府が一部の与党議員に配布した資料に基づいて書かれたものと推測される。法案の全体像には不明な部分も残されているが、この資料をもとにこれを分析している。
1 団体の定義(2条)
まず、団体と組織についてである。
政府案は犯罪行為の主体となる者は「団体」に属していることを要件としていた。与党修正案では、組織的な犯罪集団の活動とは、「組織的犯罪集団(団体のうち,その結合関係の基礎としての共同の目的が死刑若しくは無期若しくは長期5(4の誤記か)年以上の懲役若しくは禁固の刑が定められている罪(別表第三に掲げるものを除く)又は別表第一(第一号を除く)に掲げる罪を実行することにある団体をいう。)の意思決定に基づく行為であって,その効果又はこれによる利益が当該組織的犯罪集団に帰属するもの」とされている。今回の法案はこれを踏襲してくるものと推測される。
民主党修正案では、「組織的犯罪集団」とは、「重大な犯罪を実行することを主たる目的又は活動とする団体」と定義している。このような修正は、法律の適用範囲はかなり狭めることができ、意義はあるだろう。しかし、政府は一度は自民党が丸呑みにした民主党案より後退した内容といわざるを得ない。
そもそも、組織犯罪集団の明確な定義はむつかしく、このような主体の限定が有効に機能するかどうかはわからない。この点について、政府が修正案で、この点を修正してくるかどうかはわからない。
2 合意の推進を要件としても、曖昧さは解消されない。
条約では、共謀罪の成立のために「合意の内容を推進するための行為(学術的には「顕示行為又はオーバート・アクト」と呼ばれます。)」を要件とすることが認められている。
与党修正案では、「犯罪の実行に必要な準備行為その他の行為」とされていたが、今回の政府案では、「その計画をした者のいずれかによりその計画にかかる犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の当該犯罪の実行の準備行為が行われたとき」という形で、一応限定された。
民主党修正案では、我が国の刑事法制においては「予備行為」又は「準備行為」が顕示行為に当たるとして、犯罪の成立要件としている。処罰範囲を限定するため、より、限定された推進行為を要件とするべきである。
多くの国々では共謀罪が存在していても、犯罪の合意だけで犯罪成立としている例は少なく、何らかの「顕示行為」が必要としている例が多い。合意成立後の打ち合わせや、電話での連絡、犯行手段や逃走手段の準備などの行為が必要とされているのである。アメリカ模範刑法典(5.03条5項)も、「合意の目的を達するための顕示行為が自己または他の合意者によって行われたことの立法と立証」が必要としている。
条約の5条1項(a)(i)も「国内法により、必要とされるときは、そのような合意であって、その参加者の一人による当該合意を促進する行為を伴いまたは組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を付け加えることを認めていた。
多くの国々が、組織犯罪集団の関与と合意の推進行為を犯罪要件に付け加えている。合意の成立だけで犯罪の成立を認めた当初の政府案、あまりにも犯罪構成要件が広汎かつ不明確であって、刑法の人権保障機能を破壊しかねず、条約に「悪のり」したものであっただけで、この修正は当然のことをしただけであるといわざるをえない。
3 共謀罪の犯罪成立要件として「越境性(国際性)」を追加する
越境組織犯罪条約は、もともと「国をまたぐ犯罪(越境性のある、又は国際的な犯罪)」を対象とするものである。
しかし、政府は、「条約第34条の2で国際性の要件を付することを認めていない」と主張して、法案では「越境性(国際性)」」の要件を外して提案している。しかし、条約の本来の目的を考えれば「越境性(国際性)」を付しても良いと考えられる。どうしても、条約の解釈と異なるとしたら、「条約の留保」等を行うことも選択肢となる。
この点は、民主党案に含まれており、自民党が丸呑みしたものであるが、今回の政府案では取り上げられていない。しかし、この点は、法律の適用範囲を限定する上でも、重要な修正であり、もし共謀罪法案をどうしても成立させるとすれば、この点も掘り下げて再検討すべきである。この点は、第9で再度検討しておくこととする。
4 共謀(合意)の対象となる犯罪としての「重大な犯罪」を限定する。
政府案では、条約の規定通り、「重大な犯罪」を「長期4年以上(の懲役又は禁固)」の犯罪としていた。対象犯罪が我が国では615(当時)に上った。
民主党修正案では、「長期5年超」の犯罪に限定することとし、対象犯罪を約300(当時)に止めた。
その後検討された小委員会案では、いくつかの案が示されており、明確でないが、最大で約200、最小では約140の犯罪を対象としていた。テロ関係・組織犯罪関係とされる犯罪の中にも、いわゆるテロ犯罪・組織犯罪との結びつきが必然的でない一般犯罪が数多く含まれている。このような対象犯罪の限定が必要であり、政府として必要と考えるのであれば「条約の留保」等を行うことも検討するべきである。
5 共謀行為の限定
政府案には、共謀行為の限定に関する規定はなかった。与党修正案では、これを「具体的な謀議」を伴う共謀という形で限定しようとした。民主党修正案では、「具体的かつ現実的な合意」を伴う共謀とし、さらに限定しようとした。
今回の政府案では、「遂行を二人以上で計画した者」とされている。
6 自首減免の対象
政府案は、自首した場合には、無限定かつ必要的に減免することとした。与党修正案は、密告奨励という批判を受けて、「情状により」任意に減免することができると修正した。民主党案では、さらに、「死刑又は無期の懲役・禁固が定められている罪」に限定した。
ところが、この点については、新たな政府案では、必要的な減免規定に逆転してしまった。
7 逮捕勾留する際に顕示行為の蓋然性が要件化されているか
政府案では、そもそも,顕示行為の規定がなく、要件化されていませんでした。与党修正案では、「準備その他の行為が行われたことを疑うに足りる相当な理由があるときに限り逮捕・勾留できる」とされた。民主党案では、「共謀に係る犯罪の予備が行われたことを疑うに足りる相当な理由があるときに限り逮捕・勾留できる」とされている。新たな政府案には、このような規定はない。
8 既遂犯との二重処罰の防止規定
政府案や、与党修正案には二重処罰の禁止規定はなかった。これに対して、与党修正案と民主党案では、「共謀をした者が,その共謀に係る犯罪を犯したときは,当該罪を定めた規定により処罰され,共謀罪の規定により処罰されないことに留意しなければならない」とされた。ただし,与党修正案では、付則で規定している。
この点も、二重処罰の禁止規定のない法案に逆戻りしてしまっている。
9 まとめ
このように、共謀罪について適用範囲を限定していく方法はないわけではない。特に対象犯罪を大幅に減らしたり、組織犯罪集団を明確に定義しその関与を求め、犯罪の越境性を要件とすれば、かなりの限定は可能だ。
しかし、今回の政府案は条約が予定していた限定条項を盛り込んだだけであり、ほとんど限定とならない。むしろ、与党の修正案の段階からも大幅に逆戻りしている。この間の議論の積み上げも無視した政府案には失望を禁じ得ない。
根本に立ち返って、共謀罪制定を断念して条約だけを批准する、批准してからどうしても足りないところがあれば対応するのが正しい方向性だ。
第9 越境性を要件とすることは認められるか
1 条約第34条についての法務省見解
条約第34条2項は、「第5条、第6条、第8条及び第23条の規定に基づいて定められる犯罪については、各締約国の国内法において、第3条1に定める越境的な性質又は組織的な犯罪集団の関与とは関係なく定める。ただし、第5条の規定により組織的犯罪集団の関与が要求される場合はこの限りでない。」と規定している。
法務省は、34条によると各国の国内法化にあたっては、共謀罪(5条)については越境性、マネーロンダリング(6条)と司法妨害(23条)については、越境性と組織犯罪の関与の点と無関係に立法しなければならないのだ、条約を批准する以上他の選択肢はないという意見を述べている。
2 34条2項の立案経過
この条項は、条約審議の際の最大の難関であった、条約の適用範囲に関する議論の中で提案されたものである。
34条はもともと23条ter(23条の3)として審議されていた。9回までの審議に提案されていた、1項は現在の1項と同様、「各国の国内法制度の基本原則と従って」対策をとるというもの、2項は最終的な3項と同様、条約よりもいっそう厳格又は厳重な措置をとることができる。」というもので、現在の2項に相当する規定はなかった。
3 警察学論集の見解
この点について重要な資料は警察学論集53巻9号に掲載された今井勝典「国連国際組織犯罪条約の実質採択」である。この57-58ページに、「国際性」「組織性」の位置づけの問題として説明されている。
「(2)「国際性」、「組織性」の位置づけの問題
審議に当たって、最も各国で困難な調整を強いられることになったのが、条約の適用対象とする犯罪に関して、「国際性」や「組織性」をどのような形で求めるかの問題であったと思われる。
各国の立場を単純化すると二つの極があり、一方は、この条約の対処する犯罪が「国際組織犯罪」であることを根拠にして、各種処罰規定の整備、逃亡犯罪人引渡し、法律上の相互援助、コントロールド・デリバリー等の捜査協力、技術援助等様々な手段の適用は、すべからく「国際性」と「組織性」とを明確に兼ね備えたものに限定すべきとの考え方であり、G77諸国の支持を集めた。
そしてもう一方は、条約の実際の適用場面を考えると、そうした厳格な限定的アプローチは望ましくなく、何らかの限定が必要になる場合であっても・もっと緩やかなものにしておくべきであるとするもの(柔軟かつ広範アプローチ(flexible and broad approach))であった。
双方の立場の対立は、第三読終了時になっても埋まることはなく、幾度とない審議の末、第10回会合になって、ようやく現在の形の成案を得たものである。
基本的な枠組みとしては、「国際性」、「組織性」を掲げつつも・各種犯罪化・犯罪人引渡し、法律上の相互援助といった実務的に重要な分野で「柔軟かつ広範アプローチ」に基づく特則が採用されるという形の決着となった。」
とされている。
4 法務省解釈に明らかに反する「公的記録のための解釈的注」
条約は越境性のある組織犯罪を防止するための条約であり、越境性については3条に、組織犯罪集団に関しては2条に定義がある。条約の審議を通じてこの定義は条約の適用範囲を画することを前提に議論されてきた。越境性と組織犯罪の関与と無関係に共謀罪(組織犯罪の関与は除く)やマネーロンダリング、司法妨害の規定をする義務がある等と言うことは本来は、あり得ない解釈である。
このことは、条約の「公的記録のための解釈的注(travaux prepatoires)」の第34条2項の解釈をみても裏付けられる。この条項は「条約の適用範囲を変更したものではなく、越境性と組織犯罪の関与が国内法化の本質的な要素ではないことを明確化したものである」とし、この条項は、各国は国内法化の際に越境性と組織犯罪の関与とを要素とする必要はないことを示しているとされている。
5 越境性を要件にして立法化した国があった
カリブ海諸国の一つであるセントクリストファー・アンド・ネイビーでは、この条約に基づいて共謀罪を制定し、条約を批准したが、その対象は明確に越境性を要件とするものとなっている。条約の定義する越境性を持つ行為に限って共謀罪の対象としている。越境性を要件とした場合、条約の批准ができないという政府の説明は事実の前に崩れ去ったのである。セントクリストファー・ネイビーは条約批准に当たって、条約34条2項の留保もしていない。まさに、同国はこの条約の解釈として、越境性を要件とすることができるという前提に立っていることがわかる。締約国会議で、この立法が問題とされたこともない。このように、私は、越境性を要件とすることは、条約の解釈として認められ、留保ないし解釈宣言も本来必要がないと考える。
第10 共謀罪問題の決着の付け方
共謀罪問題の本質は、ある条約を批准するために、どこまで国内法を事前に改訂する必要があるのかという点にある。
日本政府は、人権条約に関しては、明らかに条約に反する国内の制度があっても、平気で批准してきた。これは、ある意味では正しい方向性である。少なくとも、批准しないよりはいい。条約を批准してから、世界の動向も眺めながら、法制度の整備をしても良いのだ。何度も改善を勧告されても、全く対応しないのは考え物だが、そのようなやり方は一般的には認められているのである。
ところが、越境組織犯罪条約については、日本政府は異常なほど律儀に条約の文言を墨守して、国内法化をしようとした。むしろ、一部の法務警察官僚は、批准を機に過去になかったような処罰範囲の拡大の好機ととらえた節がある。もしかすると、アメリカ政府との間で、アメリカ並みの共謀罪を作るという合意があったのかもしれない。
しかし、世界各国の状況を見る限り、日本の政府案のような極端な立法をした国はほとんど見つけられない。そもそもこの条約は各国の法体系に沿って国内法化されればよいのである。
日弁連が、起草途中の越境組織犯罪防止条約の問題に関わって、17年の歳月が流れている。私が日弁連の事務総長、平岡氏が法務大臣となった2011年の秋、私たちは、積年の共謀罪問題の決着を図ろうとした。日弁連が提案し、民主党が採ろうとした方向性こそ、条約の批准をめざすための一番の近道であると考えたからだ。一度は、法務省幹部はこのような解決の方向を探ろうとした形跡がある。しかし、外務省は動かず、平岡大臣の辞任と民主党政権の崩壊によって、このような方向での解決は実現しなかった。
私は、今年の3月に札幌弁護士会で行われた共謀罪の学習会のためのレジュメの末尾に次のように書いた。
「政府の側の顔ぶれも大幅に変わった。官僚にとって、過去に先輩が敷いたレールを引き直すのは容易なことではないのかもしれない。しかし、ことは日本の国の刑事司法の根幹に触れ、人々の法執行機関への信頼を傷つけるかもしれない問題なのだ。共謀罪の一般化は我が国の法体系にそぐわないと、一度は法務省も考えたのではなかったか。だとすれば、そのような方向で解決策を考え直すべきではないか。
法務省や外務省の中にも、柔軟で現実的なアプローチを考えておられる方がいるのではないか。共謀罪問題に、法的、政治的な決着を付けるために、今一度知恵を絞り合う必要があるだろう。そして、このような知恵が働かず、政府案と同工異曲の新提案が出てくるとすれば、私たちは、全力を尽くしてこれと闘い、刑事司法を破壊し人権侵害を引き起こす共謀罪の新設を食い止めなければならない。」
残念ながら、政府側には柔軟で現実的なアプローチをまとめられる人はいなかったようである。今回の政府案は、まさに同工異曲の新提案である。残念なことではあるが、私たちは、全力を尽くしてこれと闘い、刑事司法を破壊し人権侵害を引き起こす共謀罪の新設を食い止めなければならない。
第11 参考文献
○海渡雄一「主権者として情報アクセスの自由を求めるのか、監視の下の安全を選ぶのか」(『国際人権』26号所収)
○山下幸夫・斉藤貴男編『共謀罪法案を批判する』(2016 合同出版 TOC条約に関する論考を筆者も寄せた)
○市川隆太『番犬の流儀』(2015 明石書店)
○平岡秀夫『リベラル日本の創生』(2015年 ほんの木)
○足立昌勝『さらば共謀罪』(2010年 社会評論社)
○樹の花舎編集部『やっぱり危ないぞ 共謀罪』(2007年 樹花舎)
○海渡雄一・保坂展人『共謀罪とは何か』(2006 岩波ブックレット)
○海渡雄一・小倉利丸『危ないぞ 共謀罪』(2006 樹花舎)
○海渡雄一「国境を超えて移動する者を潜在的犯罪者・テロリストとみなす国境管理」『法律時報』78巻4号(2006年)
○古谷修一「国際組織犯罪防止条約と共謀罪の立法化」(警察学論集61巻6号)
○松宮孝明「組織犯罪対策に見る「自由と安全と刑法」-共謀罪立法問題を含む-」刑法雑誌48巻2号
○松宮孝明「実体刑法とその『国際化』――またはグローバリゼーションーに伴う諸問題」『法律時報』75巻2号(2003年)
第12 条約と法案を巡る経過
1997年 12月12日国連総会は1997年4月にパレルモで、フォンダジオネ・ジョバンニ・イ・フランチェスカ・ファルコーネ(1992年にイタリア・マフィアによって暗殺されたファルコーネ予審判事に因んだ財団)によって組織された越境的な組織犯罪防止のための条約起草に関する非公式会合の報告書に注目する(took note)ことを表明した。
1998年 4月に開催された犯罪防止刑事司法委員会第7回セッションは、ナポリ政治宣言と組織的越境犯罪に反対するグローバル・アクション・プランの実施に関して会期内のワーキンググループを組織した。このセッションの決議に基づいて、「議長の友人」と呼ばれる専門家の非公式グループが結成され、この第1回の会合は1998年7月にローマで開催され、8-9月にブエノスアイレスで開催された第2回の非公式の準備会合において、条約作成のタイムテープルが定められ、2000年末までに条約案を採択することが承認された。第3回の非公式会合は1998年11月にウィーンで開催され、この場で起草特別委員会の第1回会合の議題の整理が行われた。
1998年 国連総会は1998年12月9日、犯罪防止刑事司法委員会と社会経済理事会の勧告を受けて、国際的な組織犯罪防止のための包括的な条約を起草するための開放型の政府間特別委員会の設立を決定した。
1999年 国連総会のもとに置かれた「越境組織犯罪防止条約起草のためのアド・ホック委員会」において、1999年1月から起草作業が継続されてきた。
2000年 委員会は11回の審議の後に条約案をまとめ、「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」(越境組織犯罪防止条約)は2000年12月に国連総会で採択された。日本政府はパレルモで開催された署名式で、これに署名した。
2002年 法務大臣が共謀罪規定の新設を法制審議会に諮問した。
2003年 政府は第156回通常国会に共謀罪法案を提案するも,第157回臨時国会において廃案となった。
2004年 サイバー犯罪に関する条約の国内法化案と合体した形で第159回通常国会に再提出された。
2005年 第162回通常国会において国会審議が開始されるも同年8月の衆議院解散によって廃案となった。
2005年 第44回衆議院議員総選挙において与党が大勝した。
2005年 第163回特別国会に改めて提出されて,本格的に審議入りし,問題点が浮き彫りとなった。
2006年 第164回通常国会において度重なる強行採決の動きがあり,自民党は第二次修正案まで提出した。6月には,自民党が民主党案をいわゆる丸のみする方針を明らかにしたが,一夜にして偽装丸のみが発覚し,合意は成立しなかった。会期末には,与党は第三次修正案を会議録に添付した。
2006年 第165回臨時国会において,法務委員会理事会で与党は共謀罪審議入りを強く求めたが,審議入りしなかった。
2007年 2月に自由民主党の法務部会「条約刑法検討に関する小委員会」は共謀罪をテロ等謀議罪に改称することなどをその内容とする提案を了承した。しかし,同案は自民党内の正式決定に至らず、国会にも提出されず,第166回通常国会,第167回臨時国会において審議はされなかった。
2007年 参議院選挙において、参議院では与野党の勢力が逆転して以降は、共謀罪法案が国会で議論されたことはないまま、2009年7月21日衆院解散によりふたたび廃案となり、今日に至っている。
2009年 民主党は「マニフェスト2009」において、共謀罪法案を成立させることなく国連条約を批准する方針を示し、総選挙で政権交代を実現した。2011年 9月2日、平岡秀夫氏が法務大臣に就任し、11月7日法務省の関係部局に対して、また外務省の関係部局に対しては、法務省刑事局を通じて、共謀罪に関する状況調査(条約交渉の経緯、条約締結に向けての各国の対応、「条約の留保」の可能性等)と、共謀罪法案に関する立法方針の検討を指示した。平岡氏の説明によると、立法方針案として指示した内容は、次の通りであったとされる。「『長期4年以上の懲役又は禁固の刑が定められている罪のうち、TOC条約【越境組織犯罪防止条約】の目的・趣旨に基づいて防止すべき罪に対して、すでに当該罪について陰謀罪・共謀罪・予備罪・準備罪があるものを除き、予備罪・準備罪を創設する』ことには、どのような問題があるか(国連への通報に示されているサウジアラビア、パナマのケースは、これと類似のケースのように思われる)」
2012年 12月総選挙で自民公明連立政権が発足。
2013年12月の特定秘密保護法の成立直後、2015年11月のフランス・テロ事件などの際に、複数の政府高官は共謀罪法案の早期成立を主張したが、政治情勢上の考慮から今日まで法案は国会に提案されていない。
第13 共謀罪法案の変遷
原案・ 当初政府が提案したもの
丸飲み案・ 2006年6月2日に与党が丸飲みする予定であった民主党案
修正案・ 2006年6月16日与党が法務委員会議事録に参照掲載した第三次修正案(第一,第二次修正案は除きます)
小委員会案・ 2007年2月に作成された自民党法務部会小委員会案は対象犯罪と共謀罪の名称をテロ等謀議罪と言い換えた以外は与党修正案と同一である。
新政府案・ 2016年8月に朝日新聞が報じている政府案として準備されている法案
1 団体の定義(2条)
原案:共同の目的を有する多数人の継続的結合体
丸飲み案:多数人の継続的結合体であって、その構成員の継続的な結合関係の基礎となっている根本の目的が犯罪を実行することにある
修正案:結合関係の基礎としての共同の目的を有する多数人の継続的結合体
小委員会案:修正案と同一
新政府案:修正案と同一
2 共謀罪の定義(6条の2)
(1)越境性
原案:不要
丸飲み案:必要
「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約第三条2(a)から(d)までのいずれかの場合に係るものに限る」
※国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(ここ←)第三条2(a)から(d)とは,
(a)二以上の国において行われる場合
(b)一の国において行われるものであるが、その準備、計画、指示又は統制の実質的な部分が他の国において行われる場合 (c)一の国において行われるものであるが、二以上の国において犯罪活動を行う組織的な犯罪集団が関与する場合 (d)一の国において行われるものであるが、他の国に実質的な影響を及ぼす場合
である。
修正案:不要。ただし,条約の目的を逸脱することのないように留意しなければならないとの付則あり
小委員会案:修正案と同一
新政府案:修正案と同一
(2)共謀する対象となる活動の限定
原案:団体の活動
丸飲み案:組織的な犯罪集団の活動(組織的犯罪集団(団体のうち,その構成員の継続的な結合関係の基礎となっている根本の目的が死刑若しくは無期若しくは長期五年を越える懲役若しくは禁固の刑が定められている罪又は別表第一(第一号を除く)に掲げる罪を実行することにある団体をいう。次項において同じ)の意思決定に基づく行為であって,その効果又はこれによる利益が当該組織的犯罪集団に帰属するもの。
修正案:組織的な犯罪集団の活動(組織的犯罪集団(団体のうち,その結合関係の基礎としての共同の目的が死刑若しくは無期若しくは長期5(4の誤記か)年以上の懲役若しくは禁固の刑が定められている罪(別表第三に掲げるものを除く)又は別表第一(第一号を除く)に掲げる罪を実行することにある団体をいう。)の意思決定に基づく行為であって,その効果又はこれによる利益が当該組織的犯罪集団に帰属するもの
小委員会案:修正案と同一
新政府案:修正案と同一
(3)共謀行為の限定
原案:なし
丸飲み案:「具体的かつ現実的な合意」を伴う共謀
修正案:「具体的な謀議」を伴う共謀
小委員会案:修正案と同一
新政府案:「遂行を二人以上で計画した者」
(4)顕示行為の有無及び内容
原案:不要
丸飲み案:犯罪の予備
修正案:犯罪の実行に必要な準備行為その他の行為
小委員会案:修正案と同一
新政府案:その計画をした者のいずれかによりその計画にかかる犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の当該犯罪の実行の準備行為が行われたとき」
(5)自首減免の対象
原案:無限定かつ必要的に減免する
丸飲み案:死刑又は無期の懲役・禁固が定められている罪に限定 修正案:「情状により」任意に減免することができる
小委員会案:修正案と同一
新政府案:無限定かつ必要的に減免する
(6)共謀する犯罪の限定
原案:長期4年以上の懲役・禁固が定められている罪
丸飲み案:長期5年を超える懲役・禁固が定められている罪
修正案:長期4年以上の懲役・禁固が定められている罪
ただし,過失犯,陰謀・共謀罪などを除く。
なお,長期5年以下の犯罪については,慎重な適用を求める注意規程
小委員会案:いくつかの案が示されており、明確でないが、最大で約200の犯罪を対象としている。テロ関係・組織犯罪関係とされる犯罪の中にも、いわゆるテロ犯罪・組織犯罪との結びつきが必然的でない一般犯罪が数多く含まれている
新政府案:原案どおり
(7)逮捕勾留する際に顕示行為の蓋然性が要件化されているか
原案:そもそも,顕示行為の規定がなく、要件化されていない
丸飲み案:共謀に係る犯罪の予備が行われたことを疑うに足りる相当な理由があるときに限り逮捕・勾留できる
修正案:準備その他の行為が行われたことを疑うに足りる相当な理由があるときに限り逮捕・勾留できる
小委員会案:修正案と同一
新政府案:原案通り、要件化されていない
(8)既遂犯との二重処罰の防止規定
原案:なし
丸飲み案:あり
共謀をした者が,その共謀に係る犯罪を犯したときは,当該罪を定めた規定により処罰され,共謀罪の規定により処罰されないことに留意しなければならない
修正案:あり(同上。ただし,付則での規定)
小委員会案:修正案と同一
新政府案:原案通り、なし
第14 法律上テロ行為を未遂に至らない段階で処罰する規定(2012年日弁連意見書より)
1 航空機の強取等の処罰に関する法律(昭和45年5月18日法律第68号)第3条
暴行・脅迫等の方法で人を抵抗不能の状態に陥れて,航行中の航空機を強取する行為の予備行為を処罰する規定となっている。
2 公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律(平成14年6月12日法律第67号)第2条
情を知って,公衆等脅迫目的の犯罪行為の実行を容易にする目的で資金を提供する行為を処罰する規定であるが,これは,予備あるいは準備段階の幇助を独立犯として処罰する規定であり(当連合会の2002年4月20日付け「公衆等脅迫目的の犯罪行為のための資金の提供等の処罰に関する法律(案)」に対する意見書」),未遂に至る前の段階の行為類型を処罰することが可能な規定となっている。
3 サリン等による人身被害の防止に関する法律(平成7年4月21日法律第78号)第6条第4項
サリン等の製造,輸入,所持,譲り渡し,譲り受け行為の各予備行為を処罰することが可能な規定となっている。
4 放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律(平成19年5月11日法律第38号)第3条第3項
放射性物質を発散させるなどして人の生命等に危険を生じさせる行為の予備行為を処罰する規定となっている。
以上
by himituho
| 2016-08-26 23:12
| 弁護団メンバー記事