甲状腺がんに関するテレビ報道に対する
環境省の「見解」発表に抗議する声明
2014年3月11日、テレビ朝日は、「報道ステーション」において「甲状腺がん」に関する特集企画を放送した。福島県で、東日本大震災当時18歳以下だった子ども約27万人のうち33人が甲状腺がんと診断されていることについて、福島県が行った「県民健康管理調査」の実態を検証し、委託先の県立医大が発表した「(現在までに分かっているがん患者33人について)被曝(ばく)の影響とは考えにくい」との結論に疑問を呈するものであったが、内容は、初期の検査体制の不備のために、内部被ばくデータ自体が不足し、検証を行うための重要なデータが足りない事実も紹介した上で、さまざまな立場の異なる専門家の見解を紹介するなど、公平性・客観性にも十分に配慮した上で、広く議論を呼びかけるものと評価できるものであった。
ところが、同番組に対し、翌3月12日、福島県立医大が「甲状腺がんと診断された方については福島第一原発事故の影響によるものとは考えにくい」との見解を公表したほか、3月18日ころには、環境省がウェブサイト上で番組に対する「見解」を公表した。
「見解」は、「事実関係に誤解を生ずるおそれもあるので、環境省としての見解を以下のようにお示しいたします。」としたうえで、「平成26年2月に環境省等が開催した「放射線と甲状腺がんに関する国際ワークショップ」に参加した国内外の専門家からは「原発事故によるものとは考えにくい」とされています」との同省の公式見解を示すものであるが、これは、公式見解と異なる見方及びその存在を放送した番組に対する、事実上の抗議にほかならない。
政府であっても、メディアによる報道内容が一方的かつまったくの誤報であり、重大な権利侵害にあたる場合、これに抗議し、内容の訂正を求め得ることまでは否定しない。しかし、当局の公式見解と異なる見解があることを報じたメディアに対し、そのことを理由として事実上の抗議を行うことは許されない。
なぜなら、第1にジャーナリズムの本旨は公権力の監視にあるからである。メディアは本質的に政府に批判的な立場・視座を持つことが要求されている。政府の政策が誤っていると判断した場合、それに対し批判的な番組や紙面を制作することは批判の対象とならないだけでなく、メディアとして当然の行為なのである。このようなメディアの本質的な行為に対して抗議をすることは、一切の政府批判は許されないと言う結果につながりかねない。今回のように、メディアが独自取材に基づき、公平性・客観性に十分に配慮した上でその見解を披歴しているに過ぎない場合はなおさらである。
第2に、マスメディアに過度の委縮を引き起こし、憲法で保障された報道の自由、知る権利を侵害するおそれがあるからである。報道の自由は、市民の知る権利に奉仕するために保障されていることに重要な意義があり、知る権利は、マスメディアが権力からの不当な干渉に動じることなく、多様な報道を行うことによって初めて実現される。
「誤解を生ずるおそれがある」という理由で、政府当局が報道の内容そのものにコメントするという今回の環境省のような所為は、事なかれ主義に走りがちな報道機関の経営者やスポンサーに、国策に反する報道は許されないとのメッセージを伝えることとなり、メディアに求められる知る権利に資するための報道姿勢を萎縮させかねない。同様の動きが重なることで、メディアは批判を躊躇するようになり、日本全体の言論の自由の幅を狭め、自由で闊達な言論空間を失わせることになるだろう。特に紙媒体と異なり、総務省による免許事業である放送メディアについては、とりわけ政府の行為による萎縮効果が生じやすく、謙抑的な姿勢が求められている。
これらの政府の一連の動きは、市民の知る権利を侵害し、国民の生命・健康にとって重要な政府の行為が秘密にされてしまいかねないものであり、秘密保護法に反対する当弁護団が、最も懸念しかつ憂慮していた事態である。健康管理調査に関する情報は、特定秘密に当たるとは考え難いが、国民、特に福島で暮らす子どもたちの生命・健康の権利保障に直結しうる極めて重要な情報である。このような国民の基本的人権保障に関する情報が、福島原発事故後に政府や福島県によって意図的に隠され、知る権利が制約されてきたことは疑いがない。当弁護団は、政府は、不当な抑圧につながるような個別報道への懸念の表明などの行為をしてはならないと考え、環境省に対して、強く反省を求めるものである。
平成26年4月28日
秘密保護法対策弁護団
共同代表 海渡 雄一
同 中谷 雄二
同 南 典男